あるべき姿からイシューで解決!!

世の中VUCAになってきて、何かと新しい問題に直面することが多くなってきました。

今日は、そんな世の中に対抗するため、「課題に直面したときの問題解決」のお話ですよ!

まず現状の姿を確認しよう!

課題に直面したとき、何よりも大切なことは、「今」の姿を確認することです。

現状の確認なんて簡単??

いやいや、これが結構難しいのです。

あなたの今いる環境を俯瞰してみてみましょう。

以外と自分の身の回りしかわかっていないのではないでしょうか。

いろいろな人から話を聞いて、断片的な情報から現状を整理していきましょう。

 

あるべき姿を思い描こう!

次に、「本来はどうなっているべきなのか」を考えましょう。

ちょっとやることのレベルが上がりましたね。

しかし現状の姿を整理したことで、無駄な部分や古くなってきた部分が見えてきたのではないでしょうか。

そこで「では、どういう状態であれば、これが解決できるのか」という姿をイメージするのが次のステップとなります。

想像の羽を羽ばたかせて、「こうなればよい」姿を作っていきましょう。

 

 

ギャップからイシューを導きだそう!

あるべき姿と現状の姿を比較すると、その隔たりが見えてきます。

この隔たりのことを「ギャップ」といいます。

そしてこのギャップを埋めるための課題こそが「イシュー」と呼ばれるもの、つまり「注力すべき課題」です。

これで、「何をするべきか」がわかりました。

あとはイシューを解決するために、全力を注ぐのです。

 

なーんて「べき論」で物事が動くわけないのだ!!

などと、ここまでしたり顔で述べてきましたが、こんなことやってて課題が解決するところ見たことないや、というのが、本記事の結論です。

というか、ですね。「ある『べき』姿」ってなんですかね?

この手の話を見ると、かならずToBe(あるべき姿)って出てくるんですけど。

誰目線なんでしょうかね? 『べき』とか言い切るって。

 

僕が思うに、「あるべき姿」なんて存在しないんです。

誰かが「こうであったらいいのに」と思う姿があるだけで。

その理想の姿を追い求めるのはいいけど、それはあくまで「ぼくのおもうさいきょうのすがた」ってやつで、「あるべき姿」ではありません。

「あるべき姿」ではなくて「僕が作りたい姿」なんですよ。

そして、別にそれで全く問題ないんです。

「俺はこうしたい!」って、言い切ったらいいんですよ。

むしろ「あるべき姿」という他人事のような言葉を使ってしまうと、「なんでその姿を目指すのか分からなくなる」と思います。

 

たとえば、こんな記事があります。

 

言いたいことはだいたい一緒ですね。

「べき」という言葉で語ってしまうと、唯一絶対のものになってしまい、「どうしてそうしたいのか」「なんでそれがよいと思うのか」「本当にそれでよいのか」を、問いただすことができなくなってしまうんです。

 

そんなことでは人は動きません。

人を動かすのはいつだって感情であり、パッションなんですから。

納得しながら仕事したいんです。

心を熱くしながら仕事したいんです。

強い思いが必要なんです。

べき論なんかで仕事したくないんです。つまらないから。

 

というわけで、あるべき姿なんて示しても、誰も協力してくれないでしょう。

という話でした。

 

え? なんで突然こんな題材で記事書いたのかって?

仕事でそんな体験したのかって?

ソンナコトナイデスヨー?

なんとなくですよ、なんとなく。

 

 

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