ゲームは世の中の役にたっているのだろうか?
クールジャパンという言葉もあまり効かなくなった気がしますが、
「ゲームは日本が誇る文化だ! 優秀なゲームクリエイターを育てねば!」
みたいな空気を最近は感じるようになりました。
ゲーム好きの皆さんはそんな世相を見て、
「やったぜ! 俺たちの時代がやってきた!」
と、喜ぶのでしょうか。
それとも
「やめてくれ! ゲームなんて日陰の存在だからいいんだよ!」
と、反発するのでしょうか?
私はどっちかというと、前者です。
そんな空気で歓迎してもらえる「クリエイター志望者」をうらやましく思います。
しかし、不安にも思います。
「そんなに脳天気にゲーム作りを職業にしてしまっていいの?」
「ゲームを作ることで社会貢献になるかとか考えているの?」
と。
そんなわけで、今回は、
「ゲームクリエイターは世の中の役に立っているのか?」
というテーマで、個人的な考えを語っていきます。
未読のかたは前回記事「私がゲーム業界に就職しなかった理由」も参照してみてください。
そもそもゲームがなくても生きていけるじゃないか。
どこのクリエイターさんか忘れてしまいましたが、ゲーム業界に就職すると言ったら「お前は一生遊んで暮らす気か!」と父親から怒られた、という逸話があった気がします。
この逸話、分からなくはないですね。
ゲームは娯楽です。
生活必需品でもありませんし、生活を便利にするツールでもありません。
よって、ゲーム業界とは「余裕」の産物でしかないわけです。
むしろ余裕を食いつぶすための産業とも言えそうです。
単純に考えて社会貢献になるようには思えません。
「そんなこと言ったら、世の中の娯楽は全てそうじゃないか」と思われた人もいるかもしれません。
その通りです。これは娯楽業界全般に当てはまることなのです。
少なくとも15年前の私はインフラ、製造、流通、情報産業などにしか、社会的意義を見出せませんでした。
ふと疑問に思うのですが、今の人たちは、娯楽業界に生きることに疑問をもったりしないんでしょうかね?
娯楽業界を選ぶ意義が「自己満足」以外の回答が返ってくるのか、ちょっと聞いてみたい気もします(※煽りではありません)。
逆に社会の成長を阻害する可能性があるのでは?
他の娯楽業界に比べて、ゲームには凶悪な側面があります。
とても中毒性が高いということです。
これはスポーツや観劇系の娯楽には見られにくい側面だと思います。
子持ちの親であれば、いつまでもゲームをやめようとしない子どもに手を焼いた記憶があるのではないでしょうか。
また、今でもガチャに夢中になって貴重なお金と時間を溶かしている人が多く存在しています。
それを思うと、社会貢献どころか、社会の成長を妨げるようなものなのではないのか。
そんな疑問も湧いてきます。
ゲーム製作を職業にした結果、ガチャ廃人を生むことに加担することになるなんてやるせないにもほどがあります。
ゲームが役に立つケースとは?
そんなわけで、私はゲーム業界を選ばなかったわけです。
そして普通(?)に就職して、普通(?)に仕事して……やがて壁にぶつかりました。
激務が続き、疲労困憊でストレスでやられそうになっていました。
こんなときは、あったかい家族や愛しい恋人でもいれば癒されるのでしょう
………………か?
いいえ! 癒されません! 家族や恋人に癒しをもとめてはいけません!
そんなものに無理に癒しを求めると、逆に傷に塩を塗り込まれます!!!!
…………ええ、塩を塗り込まれたわけですね。
ぶっちゃけて言うと、当時の彼女に振られたのです。
私はこれ以降、家族や恋人に「自分を支えてくれる」という期待を持つことをやめました。
その代わり、私にはゲームがありました。
壁にぶつかったとき、苦しい思いをしたとき、悲しい思いをしたとき、自分を支えてくれたのは、ゲームでした。
思い返してみると、それまでの人生でも、ゲームによって多くの感動をもらい、それをエネルギーにして、自分は前向きに生きてきました。
ゲームというものの存在意義を始めて意識したのはこの時でした。
そして自分がゲーマーであることを認識したのもこの時だったと思います。
愛と感動を汲み上げるものとして
ゲームは何かを生産する機械ではありません。
食料を配分してくれる装置でもありません。
貴重な時間を食いつぶす魔性も持っています。
しかし、同時に人の心に「楽しい」とか「面白い」という感動を与えてくれます。
「退屈な時間」を「心地よい時間」に変えてを提供してくれるものでもあるのです。
「楽しいと思うこと」は大事なことです。
その気持ちが、すべての行動のエネルギーになるのだと、私は思っています。
所詮、人生に意味などありませんし、万物に価値などありません(極論ですが)。
そんな無味乾燥な世の中に、彩りと物語を与えて、人を動かすエネルギーを汲み上げる。
それができるのであれば、ゲームをはじめとした娯楽には意味がある。
そう考えるようになりました。
およそ30歳ごろのことですね。
私もそんな「愛と感動」を与えるゲームが作りたい!……と思いながら生きているのですが、そんなことが簡単にできれば苦労はいらないですね。
今は仕事も子育ても忙しさ真っ盛りなので、それが落ち着いたら本気で「愛と感動の物語」を目指したいと思って生きています。
「俺、60歳になったらゲームクリエイターになるんだ!」
それが最近の私のキャッチフレーズです。
※ゲームは中毒性があるのでご利用は計画的にお願いします。節度を守って楽しくプレイしましょう。
▼ガミジさんが「愛と感動の物語」を目指してあがいている様子の一片は、コチラから確認できます。
アルファポリスにて小説掲載中 | |
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