さいきん、デザインについて考えることが増えてきたので、デザインについて語ろうと思って、上のようなアイキャッチ画像を作ってみました。
でも、考えているうちに話が逸れてきて、「イメージ(印象)」の話になってきたので、アイキャッチは無かったことにして「イメージ」に対する自分の思いを垂れ流すことにしました。先に言っておくとオチはありません。
「イメージ(印象)」に対する原体験
自慢ではないけど、子どもの頃「頭良さそうだね」と、よく言われてました。
そう言っとけば喜ぶと、同級生や大人は思っていたのかもしれないけど、私からすれば不快でした。
別に頭いいことしてもいないのに、イメージで「頭良さそう」と言われても、
「そんなの勝手に決めつけないでほしい」
と、思っていたのでしょう。
「人は見た目で判断しちゃダメ!」
って、道徳の教科書にも載っていた気がします。
あれから30年くらいたった今、気づいたことがあります。
それは、
『世の中の人はほとんど「イメージ」で物事を判断している』
ということです。
イメージで判断せずに、理性で判断しようと心がけていた自分にはショックな気づきでした。
そもそも「イメージ(印象)」とはなんなのか
ものを見て「なんとなく、そんな気がする」って感じ取るものが「イメージ(印象)」だと思っています。
この記事ではそういうことにします。
イメージを感じる理由を「人間の本能で感じ取ってるもの」と思っている人もいるかもしれませんが、私は後天的な「パターン認識」によるものだと考えています。
AI技術に詳しい人は知っていると思いますが、現代のコンピュータは膨大な画像データから類型のパターンを見つけて、カテゴライズすることができます。
これと同じことが人間の脳でも行われていると言えるのではないでしょうか。
人間も赤ん坊の時から多くのデータを取り入れて、世界をパターン認識できるようになっていると私は考えます。
(特に証拠は提示できませんが、私はそう考えています。)
つまり、イメージとは過去のデータから抽出されたパターン認識によるカテゴリー推定に過ぎないといいたいのです。
……うん、ワケがわかりませんね。
簡単に言いかえます。
「過去の経験から、脳みそが自動的に勝手に推測してる答え」がイメージの正体です。
過去の経験がもとになっているので、他人がおなじイメージを持つ保証はありませんし、新しいパターンと出会ったときには、イメージは誤作動を起こします。
(これが差別の原因の一旦かなぁと思ったり)
結局何がいいたいのかまとめてみる
ひとことで主張をまとめますと、「イメージは真実を裏切る」ものだということです。
理由は「イメージの源泉は個人の過去体験だから」です。
何かを見て思い浮かぶイメージは、「参考」にすることはできるものの、「正しい」と断じるには到底危険なシロモノです。
でも、どうやらイメージを正しいものだと思い込む人も多いみたいなんですよね。
そんな人と、どう接すればいいのか知りたいですよね。
今度はそれを考えてみたいと思います。
またこのテーマでブログを書く機会があれば、ですがね。
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