自分と創作について。
原点から考えてみたので、文章に残しておくことにした。
昔から物語を考えるのが好きで、とりわけそれをマンガゲームブックの形にするのが好きだった。
昔というのは、幼稚園か小学校低学年のことで、思い起こしてみれば、私の創作の原点は「にゃんたんのゲームブック」にあるのだと思った。
「冒険している」という体験を再現したくて、物語を作ってきた気がする。
小学校高学年くらいまでマンガゲームブックは書き続けていたけど、ゲームとしてのシナリオやギミックばかり興味があるようで、マンガとしてはまったく上達せず、同級生からは「絵が下手」と言われてしまう始末。
それがきっかけだったのか、マンガはあまり書かなくなった。
そしてこれからは小説を書こうと思ったのが中学になるころ。しかしどうしても小説ではうまく形にならない。
文章になると、内省的表現ばかりになってしまい、躍動感のある冒険を書くことができなかった。
どうやら、僕は小説でエンターテイメントを表現するのが苦手のようなのだ。
いっぽうで、TRPGのシナリオやRPGツクールによる簡易ゲームは作ることができた。
おそらく作りたいのは「冒険体験」であって、「面白い冒険の記録」を読ませることには不得手なようだ。
文章だと、表現したいと思うのは、哲学や、世の中に対する疑問や、自分の見つけ出した真実など、小難しいことばかり。冒険を表現したいと思い筆をとることもあるが、どうしても躍動感が出ない。
思い返して見るに、自分にとっての小説の核は「いちご同盟」に近い。たぶん活劇よりも煩悶の渦中でもがき苦しむ内面が書きたいのだ。
よって私は本当は一番書きたい冒険体験を、ゲームシナリオとして描くことしかできない。
だがシナリオはシナリオに過ぎない。
それだけでは作品として完成することはない。
TRPGでもセッションが行われることでようやくゲームが完成するのだ。
小説か、漫画か、アプリとしてのゲームか。なんらかの表現武器を持たねば、人に届くことはない。
そして僕は、このシナリオから物語にする作業が、とても苦手なようなのだった。
物語の形に昇華できないシナリオなど、皆の手元に届くはずもなく。
ゆえに僕はクリエーターとして、致命的な欠陥を抱えているのであった。
(続くかも)